引きこもりでも幸せになれる?

引きこもり歴2年目の30代女子(?)が幸せを手にすることができるのかを様々な角度から検証していくブログです。そして、引きこもり生活の楽しみ方を紹介!

書き初め

ちょっと遅い「書き初め」をしてみた。

 

今まで大して興味が湧かなかったんだけど、

なぜか真っ白な半紙に自分の思いをぶつけてみたくなった。

 

 

書き初めと言えば、

子供の頃の冬休みの宿題というイメージ。

 

小学生の頃、習い事で書道教室に通っていたけど、

苦痛でしかなかったな。

 

あまりの嫌さでいつももらっていた

イチゴミルクの飴さえも嫌いになってた。

 

 

半紙と墨に向かうこと2時間があっという間に経過。。。

 

『私ってこんなに集中力があったのか!』

 

時間の経過の速さに驚きつつ、

思いのほか自分の長所に数えられそうなことを発見。

 

2時間かかってようやく納得できる字が書けたことに

達成感を感じる。

 

久しぶりに感じる達成感は、

どこか懐かしくて誇らしい。

 

真っ白な半紙だけを見つめて、

筆を走らせる。

 

雑念が自然と払われたのか、

心なしかスッキリした気分すらある。

 

『不思議だなぁ。。。』

 

20年以上前に嫌いだったことを

自分の意志でやってるんだから。

 

私って謎だ。

まだまだ、解明するには時間がかかりそうだ。

今日嬉しかったこと

難解な謎を解明しようとしている自分に気づけたこと。

特別な日

2017年。新しい年が始まった。

新たに心もリセットされたような清々しさを感じる。

 

数年前、一人暮らしをしていた頃、
何度か一人で新年を迎えた年があった。

 

なんてことはない。

ただの一日の終わりと、
ただの一日の始まりに過ぎなかった。

 

特別だと思うから特別な日になる訳で、

いつもと変わらない日だと思っていれば、

TVの特番が多いくらいの差に過ぎない。

 

実家に戻った今となっては、

毎年、年末年始は家族と過ごし、

『ガキ使の笑ってはいけない』で大笑いしたり、

年を越すときに年越しそばを食べたりと、

賑やかな時間を過ごしている。

 

きっと、何かがあるから特別なんじゃなく、
誰かと過ごすから特別になるのかもしれない。

 

他愛無い会話も弾んで、

笑いに満ち溢れている。

 

こんな日常が毎日続いたら、

きっと幸せなんだろうなと思う。

今日嬉しかったこと

毛むくじゃらの愛犬が私の顔を探して、
見つけて安心して眠りについたこと。

 

 

今年の抱負は語らない。

まずは、目の前にあることを
ただ、必死にやるだけだから。

2016年、さようなら。

2016年も残すところ、

24時間を切ってしまった。

 

1年の月日が過ぎるのはなんて早いんだろう。

TVでは、1年の間に起こったニュースを振り返っている。

 

ボーっとTVを見ていて、ふと思った。

私はと言えば、今年1年どうだっただろうか?

 

 

ようやく実を結び始めた仕事も

”責任”という重圧に耐えられず、

結局のところはいつものように逃げてしまった。。。

 

逃げても逃げても、

越えなければならない壁は姿形を変えて追ってくる。

この年になって、ようやく気付いた。

 

そう、私はいつからか困難な試練から逃げて、

楽な方を行く道を探すようになった。

 

いつからだろうか、

自分が成長するためのチャンスを自ら壊すようになったのは。。。

 

『幸せになりたい』と思っていても、

いざチャンスが訪れると急に怖くなってしまう。

 

『また、失敗するに違いない。。。』と。

 

どうも、マイナスに働く思考回路から逃れられない。

閉じこもった殻が居心地が良すぎるのか、

外に出るべきだと分かっていても、殻から出ることができない。

 

自己啓発の書籍で学ぶことはあっても、

自分の人生にうまく活かすこともできない。

 

どうして、自分はこんなに何もできないのか?

そんな答えが出ない問いを自分自身にし続けていた。

 

 

年末だというのに、

どうもマイナス思考過ぎるなぁ。

 

 

でも、明るいニュースもあった。

 

私の生きがいと言ってもいいくらいのニュースが。

それは小さな毛むくじゃらの相棒ができたことだ。

 

身元不明で動物愛護センターに引き取られた彼女は、

ひどくやせ細っていた。

 

今では、体重をコントロールしなければならないまでに

健康的になったことは、とても喜ばしいこと。

 

彼女が我が家に来て、

私も少しずつではあるが前向きな気持ちになれることが

増えてきた。

 

この2ヵ月で私の人生は、大きく変わってしまった。

すっかり彼女中心の生活になってしまったのだ。

 

毎朝、起きてすぐの彼女との猛ダッシュは、

いつのまにか私の日課となっているし、

私のベッドで彼女を寝かしつけるのも日常になっている。

 

とても、ありきたりな例えだけれど、

小さな毛むくじゃらの彼女が私の人生に光を当ててくれたのだ。

 

 

よく『終わりよければ全て良し』って言うけれど、

今年1年を振り返ってみると、

まさにその言葉が当てはまるような気がする。

 

自分の嫌なところを再認識しては落ち込む、

そんな嫌な出来事も帳消しにしてくれるくらい

彼女との出会いは私にとって心揺さぶられる出来事だった。

 

これから先、どれくらいの間、一緒に居られるか分からないけれど、

1日1日を悔いのないように過ごしていきたいと改めて思う。

 

 

来年は、1年後の今日にもっと前向きな文章が書けていたらいいなと

願って、今年最後のブログとしたいと思う。

 

2017年はさらに「嬉しいこと」や「幸せ」だと思うことが

多くなったらいいな☆彡

2016年最後の嬉しかったこと

嫌な自分も、

抜けてる自分も、

大人げない自分も、

3日坊主の自分も、

ここは意外と好きだなと思える自分も、

全部、私の一部なんだって受け入れるようになったこと。

 

 

2016年、さようなら。そして、ありがとう。

2017年、まっさらな気持ちで「待ち遠しいよ」。

部屋の大掃除でもしようかと思っていた結果、

大掃除ではなく部屋の模様替えで1日を潰してしまった!

 

窓拭きも終わってなければ、

カーテンも洗っていない。

 

エアコンは…今年買ったばかりだから、

エアコンの掃除は見送りにしよう。。。

 

車はいつものごとく、

大晦日に洗うしかないかな。

 

そんなグータラな掃除計画でいいのか私!(笑)

 

でも、まぁ部屋の模様替えをして、

意外と気分が上がったりする。

 

模様替えと言っても、

家具の配置をちょっと変えただけのこと。

 

それだけでも、

不思議と新鮮な気持ちになれるのはどうしてだろう?

 

家具を動かして、

家具に隠れていた埃を掃除機で吸って、

また家具を動かす。

 

こんなシンプルな行動が

割と好きなんだなってふと思う。

 

気分が上がったのは、

もしかすると、自分の心の中の埃も少しは減ったのかな?

そうだったら、いいな。

今日嬉しかったこと

家具の配置で部屋が少し広くなったと感じれたこと。

ソファの気づき

私はかなりの説明ベタな人間なんだけど、

母も私に劣らず、説明ベタ。。。

 

私の場合は、簡潔で分かりやすい話ができない。

母の場合は、言葉が足りない。

 

ある日のこと。

私がもたれかかっていたソファがずれていたようで、

母が「ソファ直して」と私に言った。

 

ソファ直して??

私はもたれていたソファを眺めて凝視。

見る限り、ソファに異変が見当たらなかったから。

 

キョトンとした私に、母がこう言った。

「直すの。見れば分かるでしょ。」

 

こちらとしては、見ても分からないからキョトンとしているんだけど。。。

私は母にこう言った。

「直すってどこを直すの?全く意味が分からないんだけど。」

 

そして、母は少しイライラしながらこう続ける。

「そこ!下が少しずれているでしょ!」

 

そう言われて、ソファの下を見ると、

ソファの片側が1~2cm程後ろにずれていることに気づいた。

 

おいおい、ちょっと待ってよ。

なんで最初から『ソファの下がずれてるから直して』と

母は言わなかったのか??

 

母としては、自分が気づいたのだから

私も見ればすぐに気づくはずだと思ったのだろう。

 

でも、私にすれば、さっぱり意味が分からない。

もっと分かりやすく言ってくれればいいのに。

 

顔や性格、いろいろと似ているところがある母子だが、

時々、「この人のことが分からん」と思うこともある。

 

でも、まぁ私も私で相手の考えや気持ちを

想像したりすることは苦手だから、

こういった行き違いが起こるのは当たり前なのかもしれない。

 

数分間、互いにイライラを感じたけど、

これもまた一つの気づきを与えてくれた出来事だった。

今日嬉しかったこと

相手の欠点が見えたとき、自分の欠点にも気づけたこと。

手離す

『断捨離』なんて言葉が数年前に流行っていたけど、

実際に物を手放そうと意気込んでも

意外と難しかったりする。

 

クローゼット一杯になった洋服や

いつか使うだろうと取ってあるおしゃれな紙袋、

中学生時代からの手紙や学生時代の教科書など。

 

ほとんど使っていない。

でも、いつか役立つときがくるかもしれない。

 

物によっては、十数年も棚の一角に押し込められている。

きっと、この先も同じなんだろう。

 

そのうち、そのうち、片付けよう。

ずっと、ズルズルと来てしまった。

 

一方で、年賀状だけの付き合いのある人や

やたらと上から目線な友人、威圧感ハンパない元会社の先輩、

「あと数十年若かったら私を恋人にしていた」と言い寄る知人。

 

今では、音信不通になった。

というより、こちらから連絡を絶った。

 

その人たちの前で、

いくつもの自分を演じるのに疲れたから。

 

文句も言わずに買い物に付き合わされる自分。

仕事のできる先輩を敬う後輩。

年長者の言葉は学びがあると信じる自分。

 

私でいられない自分を全て取っ払った。

 

何とも言えない解放感。

 

無理して連絡を取り合ったり、

体調が悪いと言っては会うことを断り続けてきた。

 

全てから解放された!

 

もう、断る理由を考えなくても良い。

もう、相手の顔色を伺って会わせなくても良い。

もう、断ることへの罪悪感を感じなくても良い。

 

もう、私を苦しめる人はいない。

これからは、本当に大切な人だけと付き合っていけば良い。

 

社会のはみ出し者と言われたとしても、

やっぱり自分が一番大事だし、

自分が精神的な安定や余裕がなければ、

大切な人の力にもなれないし、守ってあげることもできない。

 

だから、私は手離した。

物よりもずっと捨てられないものを。

 

本当に大切な縁なら、

相手はずっと見守っていてくれる。

 

私のペースを守ってくれて、

ときどきちょっとしたメールをくれる。

 

これは、私のわがままかもしれないけど、

そんな友人や家族に感謝している。

今日嬉しかったこと

手離した縁が正しかったと実感できたこと。

 

そして、

手離さなかった縁が正しかったと

改めて実感できたこと。

私の人生、誰のもの?

私の人生。

それなりに山あり谷ありの人生だった。

 

この世から消えてしまいたいと思うことも何度もあった。

この世から消えてしまえと願った相手も何人もいた。

 

でも、今は家族公認のひきこもりという

ストレスフリーな生活を遅れているため、

辛かった過去も苦しくて仕方なかった思いも、

少しずつ薄れている。

 

ものすごく辛かったときに、

自分で自分に言い聞かせていた言葉がある。

 

「誰も守ってくれない。誰も私の代わりになってくれない。」

 

今思えば、当然のこと。

 

でも、そのときの私にとっては、

そう自分に言い聞かせることで、

どうにもならない現実を必死に受け入れようと

していたのかもしれない。

 

昔、ある人に言われた言葉を思い出す。

 

『自分なりに守っていたつもりだった。』

 

そのときは、心の中で笑った。

「誰が?私を?どう守ってきたのさ!」

 

その人の言う意味が全く分からなかった。

分かろうとしていなかったのかもしれない。

 

でも、今なら少しその意味が分かった気がする。

 

守るって体を呈して守るではなく、

私の居場所を作ってくれていたことなんだって。。。

自尊心の低い私を静かに見守っていたことだったのかなって。

 

 

こうやって、
過去の自分が感じていたことを今振り返ることって
すごく大切なことだと改めて思った。

 

だって、私の人生は私だけのものだから。

私以外に私の人生を送れる人なんて存在しないんだから。

 

過去の私も、今の私も、

そして、未来の私も私だけのもの。

 

行きたい道を選んで、

自分の足で一歩ずつ歩いて行こう。

今日嬉しかったこと

過去の私の言動が
今の私を育ててくれていることに気づけたこと。